黒い日本語学校

「周りの日本語学校は○○万払って、嘘でも書類を作れれば3か月後には日本に連れて行ってくれるというのに、どうして、日本人のあなたたちはそれができないんだ。」と言われたことがありました。それは違法行為だということを説明してもダメ。日本語がわからないまま日本に行ってもすぐに働けないといってもダメ。ほかの日本語学校から情報を得ている彼らの心には届きませんでした。

しだいに、日本語学校にはビザや書類関係を頼んでおいて、私たちのところで日本語をただで学ぶといういやな構図ができ始めてしまいました。教えていて充実感よりもむなしさのほうが大きかったです。

そうして私たちから日本語を学び、ネパールの日本語学校から渡日したのは2人。一人はもう帰国し、結婚しています。(連絡は取っていないが、FBで判明)もう一人は日本国内で進学し、彼なりに頑張っています。つらい時期を一人で乗り越えたようです。

彼らにとって、日本に来たことは何だったのか。来られればそれで良かったのか、正直、とても複雑な気持ちです。

日本語学校を卒業してから…

ネパール人留学生たちは来日して、日本語学校を出てから、いったいどんな人生を歩むのでしょうか。

それを決める一つは日本で出会った在日ネパール人に大きく左右されます。

例えば、もし出会った人が難民申請をしている先輩ネパール人であれば、その学生はそちらの道を選ばざるを得ないでしょう。どうしても日本にいたい場合、ほかに日本に滞在する術がないのですから。しかし、日本の法律をしっかりと守り、苦労しながらも生き抜いてきた先輩ネパール人に出会えば、その学生もまた、努力し、進学や就職を目指し自らの道を開いていくと思います。そして、この日本社会を支えてくれる頼もしい一員となってくれます。

在日ネパール人の方々の活躍

2011年3月11日の東日本大震災では、炊き出しや募金活動など多くの在日ネパール人の方々が日本を励まし、助けてくれました。2015年4月25日にネパールで起こった大地震では、自分の故郷も被災しているにも関わらず、まずはもっと被害がひどかったところを先に支援しなければと走り回りました。

すでに日本国内には住宅やケータイの契約など日本での生活に必要なことをサポートしてくれたり、相談したりできるネパール人専用の窓口も作られています。国内のネパール人ネットワークはこれからも広がっていくことでしょう。

ぜひ、今、日本語学校で勉強しているネパール人留学生や、これから来日してくるネパール人留学生には、日本のルールを守り、しっかりと暮らしている在日ネパール人の方たちの姿をみて、苦労したとしても、明るい未来を手に入れてほしいです。

私たち日本語教師もできる限り、彼らに日本のルールを教え、トラブルに巻き込まれないよう、又はトラブルを起こすことがないよう、丁寧な日本語を教えていかなければならないと思います。

おわりに

5回に分けてお伝えしてきたネパールの日本語教育に関する記事でしたが、いかがでしたでしょうか。ここでお伝えしたことは私の短いネパール滞在期間から見たこと、感じたことですので、数年たった今、又はネパールの地域や人によって当てはまらないこともあると思います。専門家ではないのでネパールのお国事情や政治関係の話にならないように、なるべく日本語教育・日本語業界にかかわるような記事を書きました。

これからも引き続き、ネパール人留学生だけではなく、いろいろな文化や政治的背景を持って来日してきた各国の留学生たちを温かくもビシッと指導していこうと思います。