もし、あなたが子どものとき、家族で知らない国へ来てしまって、現地の一般の学校に通うことになったら?だれもその土地の言葉を教えてくれなかったら?
考えただけで緊張しますし、不安になります。
公立高校で働いている私の知人から、日本語が十分でない学生がクラスの中にいて、日本人の学生の中で苦労しているという話を聞いたことがあります。
今頑張って日本語を勉強している留学生たちが、これから日本で就職して、結婚し、日本社会の一員として活躍してくれることは頼もしいことです。もし、結婚した相手が日本人なら、生まれた子どもは多言語を操るようになるかもしれませんし、外国籍であっても、その親が日本語ができれば、自分の子どものフォローもできます。しかし残念ながら、そうでないご家庭もあるのが現実です。
日本語業界に携わっている方であれば、こうした子どもたちが一般の学校に通い、教育をうけるという大変さは想像がつくと思います。
例えば、問題自体が読めなかったり、内容が文化的なことでわからなかったりして、テストで点が取れません。
プリントが読めないので、情報がえられません。両親も日本語がわからなければお手上げです。その情報が大切なのかどうかも自分たちで判断ができません。
日本語学校では当然教える内容であっても、一般の日本の学校では共通認識として授業が進んでしまい、ついていけなくなってしまいます。
私は何人かの子どもに日本語を教えたことがあるのですが、まず、彼らが勉強したいと持ってくる教科書が、国語(宮沢賢治)、技術(はんだごての使い方)、歴史(江戸時代)というものでした。彼らは日本語で会話はできますし、ひらがなとカタカナは読めます。漢字は読めません。教えていて、なかなかカオスでした。
さて、何が一番カオスだったと思いますか。意外に国語は授業でも理解できていたおかげか、言葉の意味や気持ちを確認するくらいで終わりました。(漢字は白旗宣言されましたが。)
大変だったのは、歴史です。「も~、ナニコレ、意味わかんない。」と眉間に皺が寄っていました。まず、教科書の中にある人の名前をマーカーで引きました。それからその人物が行ったことにもマーカー。そうです。その子にとって、どれが人物名かもわからなかったのです。「これ、何?人?もの?」とよく聞かれました。世界史も持ってきていて、この子は、「読むから聞いてて」とスラスラ読んでいくのですが、人物名で見事に失速。するとまた困った顔で、「ねぇ、どうして教科書、人の名前カタカナなの?チョー読みにくい。人の名前くらい英語で書いてよ。覚えにくい。」と言っていました。
子どもたちは環境を自ら選べません。与えられた環境で頑張る彼らを国はサポートするためにいくらか補助を出しています。東京都文京区や大阪府高槻市など、日本語指導協力者を募集しているところもあります。言語・生活のサポートを60時間まで行うというものです。(協力者には1時間2000円の手当が出ます。)これは十分な時間なのかわかりませんが、文部科学省の調査で、「日本語指導が必要な児童生徒が日本語指導等特別な指導を受けられていない場合の理由は日本語指導を行う指導者がいないため。」(下記P13,③参照)と多くの学校が回答しているように、子どもたちにとって日本語を学ぶ環境が十分でないということは明らかです。